2009年8月 9日 (日)

カキフライが無いなら来なかった

図書館に行くことの楽しみはなんだろうか?

読みたい本を探すこと。もちろん、そうです。

夏のいまの時期なら、冷房のきいた館内で、雑誌などを読みながら憩うことができる。

そういうこともあるでしょう。

しかし、長年にわたって図書館に通っているのに、このたび初めて、図書館に行くことの基本的な楽しみを認識したのです。

それは、本の背表紙に書かれているタイトルを読むこと。

それって、読みたい本を探すための最初のステップで、読みたい本を探すことに含まれるのでは、と、お思いでしょうが、じつは違うのです。

ただ単に、本のタイトルを読む。そして、そのタイトルからくるイメージを膨らまして、本の内容を想像する。それが、興味のあるものかどうかを、瞬時に判断する。

この一連の思考というか、思考行為が楽しいのです。

タイトルを読んで、その本に興味を持ったときは、棚から抜き出して表紙を鑑賞し、ページをめくり、ちょっと読んでみる、という本の内容のチェックに入るのです。

しかし、私にとって、本の内容のチェックは付随的な楽しみで、やはり一番の楽しみは、タイトルを読むことなのです。

そのタイトルは、こう書かれていました。

カキフライが無いなら来なかった。 

これを読んで想像したのは、なにかのパーティみたいなものがあって、カキフライが出てくるを期待していたが、そうではなかったことの落胆を、なんやかやと綴った内容の本では、ということ。

しかし、そんなことをクドクドと書くものか、と疑った。

そういえば、東横線の都立大学駅の近くにあった食堂のカキフライはジューシーで美味しかった、なんていうことも、思い出した。

カキフライって、たぶん、好きな人は好きで、それにこだわる、といこともあるのだろう、なんてことも考えた。

ということで、このタイトルに興味を覚えた私は、本を手に取り、内容のチェックに入った。

すると、なんか面白そう。そして、一冊読むのに時間が、あまり掛からなそう。

それで、椅子に腰かけて読んだ。

この本は、いわゆる自由律俳句の本で、数ある俳句のなかで、このカキフライの俳句がタイトルして選ばれたのだ。ですから、カキフライのことは、これだけで、それ以上は無かった。

アマゾンの商品紹介には、このように書かれていた。

妄想文学の鬼才と、お笑いコンビ「ピース」の奇才が詠むセンチメンタル過剰で自意識異常な自由律俳句四百六十九句。散文二十七篇と著者二人の撮影による写真付き。文学すぎる戯れ言か、お題のない大喜利か。

こうやってみると、アマゾンの商品紹介って、おもしろい。これからは、こっちのチェックも外せない。

ちなみに、この本は、せきしろ×又吉直樹の共著になっています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月26日 (日)

小説「1Q84」に関わるお金のこと

村上春樹のいちばん新しい小説の「1Q84」が相当売れているらしい。BOOK1、BOOK2の2巻からなる長編小説にもかかわらず、である。

先日のニュースによると、発売2カ月弱で2巻合わせて200万部を超えたらしい。

私はこのニュースを知った時、悪いけれど、この小説は読みたくないと思った。

みんながワッと、飛びつくようなものは、ちょっと遠慮しておきたい、と感じる性向に私はあるようです。

でも、これだけ売れると、別な面で興味がわいてきます。

最近の私は品がない。

ということで、小説「1Q84」に関するお金のことです。

この小説の価格はBOOK1、BOOK2とも1,890円です。よって200万部の売上額は37億8千万円です。

作者には一般的にいって、売上額の10パーセントが印税として支払われるらしい。しかし、これもいろいろとあって、村上春樹くらいになると15パーセントかもしれない。

そこで、15パーセントとすると、印税は5億6700万円となります。

さらに、作者には原稿料というものが支払われます。原稿用紙1枚当たりの値段が決まっていて、それに書いた原稿用紙枚数を掛け合わせたものが、原稿料です。

原稿用紙1枚当たりの値段も、作者によっていろいろですが、村上春樹の場合、ネット情報による最高額の2万円としておきましょう。

小説「1Q84」は、2巻で1055ページに及ぶ長編です。

これを原稿用紙にすると何枚になるのでしょうか。

「1Q84」の現物を見ていないので推量ですが、かりに1ページ当たり700字とすると、(1055×700)÷400の計算で、原稿用紙の枚数は、およそ1850枚となります。

ということは、原稿料として3700万円です。

そういうことで、結論が出ました。

原稿料と印税を合わせた6億400万円の支払いが、作者・村上春樹になされることが、200万部を売った時点で、ほぼ確定したような。ぜんぜん、しないような。

でも、実際はどうなんだろう。

そして、人のお金の計算するって、なんか楽しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月21日 (火)

太宰治の「津軽」を読む

先日、太宰治生誕100年ということで、その話題がテレビに流れた。

それによると、最近、太宰の小説が若い人によく読まれているという。たとえば、今まではコミックしか読まなかった人が、太宰の小説はおもしろいということで、熱中しているという。

じつは、私は太宰の小説を読んだことがない。

「人間失格」を発表した年に、玉川上水に入水して、この世を去ったという暗いイメージが、私をして、太宰の小説を読むことを躊躇させる。

いまの若者が太宰の小説をおもしろい、と思うのは、内容もさることながら、その文体にあるという。若者が書くブログ記事に似ているというのだ。

ちょっと理解しがたいところがあった。

それで、私は太宰を読んでみようかと、思い立った。

しかし、私の選んだのは小説ではなく、紀行文の「津軽」です。

新幹線の往復の車中で読んだ。 

そして、津軽半島・蟹田において、登場人物のSさんが、自宅で太宰をもてなすところでの、Sさんの疾風怒涛のごとき接待のおもしろさに、声を立てて笑った。

そして、なぜか物悲しかった。

こんなことを書いても、なんのことやら分からないと思うが、この紀行文「津軽」は、おもしろく、そして物悲しい。

私がそう思うのは、津軽という風土が醸し出す雰囲気に大きく影響されているのかもしれない。

私は何度か、津軽地方に行ったことがあるのだ。

そして「津軽」に書かれている、いろんな地名にも馴染みがある。

太宰は「津軽」の最終章で、小泊にいる、育ての親とも言える女性に会いに行く。この紀行文でのクライマックスである。

なんだかんだといろいろあったが、この女性に会うことができ、太宰は自分のルーツというべきもの認識する、という感動的な話になっています。

じつは、私は小泊にも行ったことがあるのです。その時のことを、思い出しました。小泊は津軽半島の西海岸にある小さな町で、太宰がいうところの、本州の西海岸の最北端の港があります。

私も太宰と同じように、この港を眺めました。

そして、その風景を脳裏に焼きつけ、小泊をあとにしました。このようなところに再び訪れる機会は、そうはないのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 8日 (月)

全国トップ1240高校ってなに?

週間朝日の9月12日号に興味ある記事が載ってました。

正確に言うと、興味ある表現が載ってました。

その表現とはズバリ、「全国トップ1240高校の進学者数が明らかに 有名大学「現役」進学者数総覧」。

全国トップ1240高校ですか・・・。

こういう表現は適切なのでしょうか?

いま日本全国に高校がおよそ5400校あります。

1240校は全体の23パーセントにあたります。これをトップと表現していいものでしょうか。

細かいことを言うと、週間朝日はこの記事を書くにあたって、全国の2000校に調査依頼しているのです。そして回答のあったのが1240校ということです。

ですから、全国トップ2000高校くらいの意味合いなのですが、この数ですと全体の37パーセントにあたり、ますますトップとは縁遠くなります。

私は、無理の無い、素直な表現を希望いたします。

それに、よく分からない、あいまいな表現は避けるべきで、トップという言葉はそれに該当すると判断いたします。さらに、嫌味にとられる可能性もあり、注意が必要であると考えます。

ふ~ん、今日の私はいつもと違う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月 1日 (日)

願い事の難易度

短冊に願い事を書いて神様にお願いする。

これが一般的な七夕の儀式です。東近江市のショッピングセンターで行なわれていた願い事の催しは、結構みなさん参加していました。

Showletter4

七夕ツリーですか。普通なら、笹に短冊を付けたいところですが、まあ、良しとしましょう。

どれどれ、何の願い事をしているのかなと、ちょっと覗いてみると、みなさんイロイロ書いていました。

カメンライダーになれますように。(子供らしい、かわいい願い事。)

桜井さんになりたい・・・・。(どこの桜井さんでしょうか。ミュージシャンの桜井さん?)

松井夫婦一生一緒。(語呂がいいので好きなんですが、どうなんでしょう?)

思うに、それぞれ難しい願い事でありました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月20日 (月)

死刑判決にシルエットロマンスは似合わない

図書館の新刊図書掲示ボードに置かれた一冊の本のタイトルが目に飛び込んだ。

Dcf_02553

あの和歌山カレー毒物混入事件の容疑者で、一審二審とも死刑判決を受け、上告中の林真須美容疑者の本。

こともあろうに、タイトルは「死刑判決はシルエットロマンスを聴きながら」。

日本では表現の自由は認められているが、それはそれ、出版社もある程度の見識をもっていただきたい。

そもそもシルエットロマンスは恋する女性の切ない想いを歌ったもので、林容疑者の犯行内容とは相通ずるものがなにもない。

本を読んでいないのでこれ以上のコメントはないが、とくに読む気持ちも起こらないが、とにかくこのタイトルには違和感を覚えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月12日 (日)

読書の秋における今日の図書

今、まさに読書の秋。

というわけで今日、図書館から借りてきた本。

Dcf_0224_1

原研哉著  「デザインのデザイン」  ― デザインを分かりたい人達へ・・・―

岡部敬史著 「ブログ進化論」      ― なぜ人は日記を晒すのか ―

矢野直明著 「女性がひらくネット新時代」 ―インターネットには女性がよく似合う―

このなかで一番興味があるのは「デザインのデザイン」。さて内容はどうでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月 6日 (金)

レイ・ブラッドベリー

SF小説の大家であるレイブラッドベリー

ほとんど読んだことはないが、その小説のタイトルが印象的で読んだのは「死ぬときはひとりぼっち」。

内容もほとんど覚えていないが、じつはタイトルもてっきり「死ぬときはいつもひとりぼっち」だと思っていた。

本来のタイトルは「Death is a lonly business.」。

なるはど、ひとりぼっちと訳したのもわかるが、もっとドライな感覚のような気がする。

ひとりぼっちという言葉には、ウェットな寂しい響きがある。

さらに私のように、「いつもひとりぼっち」なんて言っているようでは、ウェット過ぎて、とても SF的ハードボイルドの世界では生きていけない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)