カキフライが無いなら来なかった
図書館に行くことの楽しみはなんだろうか?
読みたい本を探すこと。もちろん、そうです。
夏のいまの時期なら、冷房のきいた館内で、雑誌などを読みながら憩うことができる。
そういうこともあるでしょう。
しかし、長年にわたって図書館に通っているのに、このたび初めて、図書館に行くことの基本的な楽しみを認識したのです。
それは、本の背表紙に書かれているタイトルを読むこと。
それって、読みたい本を探すための最初のステップで、読みたい本を探すことに含まれるのでは、と、お思いでしょうが、じつは違うのです。
ただ単に、本のタイトルを読む。そして、そのタイトルからくるイメージを膨らまして、本の内容を想像する。それが、興味のあるものかどうかを、瞬時に判断する。
この一連の思考というか、思考行為が楽しいのです。
タイトルを読んで、その本に興味を持ったときは、棚から抜き出して表紙を鑑賞し、ページをめくり、ちょっと読んでみる、という本の内容のチェックに入るのです。
しかし、私にとって、本の内容のチェックは付随的な楽しみで、やはり一番の楽しみは、タイトルを読むことなのです。
そのタイトルは、こう書かれていました。
カキフライが無いなら来なかった。
これを読んで想像したのは、なにかのパーティみたいなものがあって、カキフライが出てくるを期待していたが、そうではなかったことの落胆を、なんやかやと綴った内容の本では、ということ。
しかし、そんなことをクドクドと書くものか、と疑った。
そういえば、東横線の都立大学駅の近くにあった食堂のカキフライはジューシーで美味しかった、なんていうことも、思い出した。
カキフライって、たぶん、好きな人は好きで、それにこだわる、といこともあるのだろう、なんてことも考えた。
ということで、このタイトルに興味を覚えた私は、本を手に取り、内容のチェックに入った。
すると、なんか面白そう。そして、一冊読むのに時間が、あまり掛からなそう。
それで、椅子に腰かけて読んだ。
この本は、いわゆる自由律俳句の本で、数ある俳句のなかで、このカキフライの俳句がタイトルして選ばれたのだ。ですから、カキフライのことは、これだけで、それ以上は無かった。
アマゾンの商品紹介には、このように書かれていた。
妄想文学の鬼才と、お笑いコンビ「ピース」の奇才が詠むセンチメンタル過剰で自意識異常な自由律俳句四百六十九句。散文二十七篇と著者二人の撮影による写真付き。文学すぎる戯れ言か、お題のない大喜利か。
こうやってみると、アマゾンの商品紹介って、おもしろい。これからは、こっちのチェックも外せない。
ちなみに、この本は、せきしろ×又吉直樹の共著になっています。
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