信長の鈴鹿山脈越え
東近江市能登川博物館で「東近江の自然 鈴鹿山脈」、という企画展が開催されている。
滋賀県と三重県の間に横たわる鈴鹿山脈ではあるが、この企画展のなかでの私の興味は、織田信長が、この鈴鹿山脈越えをしたという紹介なのです。
信長は、つごう3回の鈴鹿山脈越えを行なっている。
普通ならば、あの険しい鈴鹿山脈なんか越えるわけがない。そこにはイロイロと事情があったのだろうが、私は歴史マニアではないので深く追求しません。
信長の3回の鈴鹿山脈越えのうち、2回は千草道による千草越えで、のこる1回が八風街道による八風越えです。
それで、企画展では信長の山越えのルートを大きな地図で表示してありました。
それを見た私は気がついた。
千草道による千草越えって、途中までは今でいう雨乞岳への登山ルートでしょ、はっきり言って。
この写真の杉峠から下の方向に行くと雨乞岳がある。私の記憶では、杉峠までの登りがきつかったように思う。
この千草道は近江地方と伊勢湾地方を結ぶ、交易のための道路で、様々な物資が運ばれたということです。
でも正直、この道は登山道です。今よりは整備されていたかもしれないが、多分、大したことはないでしょう。
このような道を、大きな荷物を背負って行くなんて、いくら仕事とはいえ、昔の人はすごい。
それで、信長なんですが、どうしたんでしょう。やはり、自らの足で峠を越えたのでしょうか。まさか、背負われていくなんてことは、なかったと思いますが。
信長の3回目の鈴鹿山脈越えは千草道によるもので、ときは元亀元年(1570年)5月。
信長この時36才、体力の程はいかがだったでしょうか。
| 固定リンク



コメント